こころの定年について

こころ いろいろ

こんにちは、Chiritsumoです

最近よくサラリーマンは40代でこころの定年という言葉を耳にしませんか?

自分もアラフォーで、アーリーリタイア実現に向けて活動していることを考えると、すでにこころの定年を迎えているのかもしれません

そこで、こころの定年について考えてみたいと思います

今回は、そんな話です

スポンサーリンク

こころの定年とは

アーリーリタイア と退職金

「こころの定年」という言葉を提唱したのは楠木新(くすのき・あらた)さんです

これは、サラリーマンが定年を迎える前に組織で働くことの意味を失い、会社での評価や経済的に安定しているにもかかわらず満たされないものを感じる状態を言い表したものです

これをもう少し具体的にすると

「誰の役に立っているのか?」

「成長している実感が得られない」

「このまま時間が流れていっていいのだろうか?」

の3つに整理できると楠木さんは言っています

心の定年にぶつかった時は、

家族や会社の外に新たな生きがいを見つける

ことを楠木さんはオススメしています

「こころの定年」を乗り越えろ 40歳からの「複業」のススメ (朝日新書) [ 楠木新 ]

価格:842円
(2018/11/19 01:58時点)
感想(0件)

「こころの定年」を乗り越えろ 40歳からの「複業」のススメ (朝日新書)

新品価格
¥842から
(2018/11/19 01:59時点)

リタイアを目指している人はこころの定年なのか?

自分に当てはめると

楠木さんが整理した3つの状態に自分が当てはまっているか考えてみましたが、

「このまま時間が流れていっていいのだろうか?」

というのが少し当てはまるのかなと感じています

これは、このまま惰性で定年まで働き通して死んでしまうと、自分の人生を振り返ってみた時に後悔しそうだと感じているからです

特に独身の場合は、子供がいないので尚更ですよね

世の中に痕跡を残したい!とかいう訳では無いですが、

それなりに自己満足度の高い人生にはしたいと思っています

初めの2つの

「誰の役に立っているのか?」

「成長している実感が得られない」

についてですが、自分の場合はそもそもそれらを仕事に求めていない・期待していない

というのが本音ですかね。冷めた性格です

自分は心の定年でリタイアを目指しているのか?

3つのうち1つは当てはまりましたが、

楠木さんの取り上げているこころの定年問題は、どちらかというと充実したサラリーマン生活を送ってきて、自分自身成長して、評価もされてお金も貰えて・・・

それでも尚感じる満たされない感

が引き起こす状態という意味合いが強いと感じました

一方で、自分の感覚はどうなのか?

今まで充実したサラリーマン生活だったけど、今は満たされない・・・

というよりは

ロールプレイングゲームで言うところの、回復魔法のMPも底をつき、回復薬も無く、時間が経つごとにヒットポイントを奪われるステータス異常が発生している中、終わりの見えないダンジョンを歩いている感覚です

つまりこころのヒットポイントが無くなり、アーリーリタイアというリレミトで抜け出したい

という状態です

これは、こころの定年とは少し違うと考えています

楠木さんはこころの定年にぶつかった時は、会社や家族の外に新たな生きがいを見つけ、人に認められれば生き生きと輝けるという趣旨のことをおっしゃっていますが、

自分はアーリーリタイアしてひっそりと暮らしたいと考えているので、

やはりニュアンスが違うようです

スポンサーリンク

こころの定年について感じること

こころの定年というと個人の問題と捉えがちですが、成熟社会において

「継続的な成長感を感じられない」

「役に立っているのかわからない」

というのは、会社が明確なビジョンを打ち出せていない場合や、いわゆる大企業病と言われるような組織的な問題と強く因果関係があると思います

今はこころの定年が40代にやってくる時代かもしれませんが、今後それがどんどん早まっていく可能性が高いと思います

こころの定年が30代前半にくるような会社・社会環境になると、誰もサラリーマンにならなくなってしまうのではないでしょうか

そういう社会もいいとは思いますが、それはそれで日本企業の先行きが不安になってきますね

そういうところも考えた上での、働き方改革をしていかなければならないと思います

また各個人も会社任せにするのでは無く、自分の事は自分で行動することが求められるでしょう

スポンサーリンク

まとめ

皆さんはこころの定年は迎えていませんか?

また、こころのヒットポイントも問題ありませんか?

まだ問題無い方もいつかその時が訪れる可能性がありますので、

できる準備はしておくことをお勧めします

それでは、また。

Chiritsumo

コメント

  1. とおりすがり より:

    本論とは関係ないのですが、ブログ記事の最後の締めに「いかがだったでしょうか?」という文言は使わない方が良いかと思います。

    貴兄のアーリーリタイアシミュレーションの記事は大変参考になる記事だけあって、世の内容ゼロのクソブログみたいに「いかがだったでしょうか?」で締めくくるのは惜しいです。

    クソリプ失礼しました。

    • Chiritsumo Chiritsumo より:

      とおりすがり さん

      コメントありがとうございます
      いつも何となく「いかがだったでしょうか?」と使っていたのでコメントを頂いてドキっとしました。自分の意思のない言葉だったなと・・・。
      また、このブログではただただ自分の感じることや考えていることを綴っていきたいと思っているので、相手にお伺いをたてるような、あるいは上から目線の印象のある「いかがだったでしょうか?」という言葉は合わないかもしれませんね

      頂いたコメントを励みに、試行錯誤していきたいと思います
      ありがとうございました